Auf einen Blick
ノンフィクション作家の保阪正康氏は、水俣病などの公害を、高度経済成長期に「経済の時代」の過ちとして捉え、目標設定への直線的な国民性と問題の先送りに共通点を見出す。昭和史研究の観点から、二つの「14年」の時代を比較し、経済成長の負の側面を指摘する。
KI-generierte Zusammenfassung
Warum es wichtig ist
「公害の原点」と呼ばれる水俣病は、日本の高度経済成長期に発生し、未曽有の被害をもたらした。ノンフィクション作家の保阪正康氏は、この時代の過ちの背景にあったものを昭和史研究の観点から分析する。
「公害の原点」と呼ばれる水俣病は、列島が高度成長に沸く中で発生し、未曽有の被害をもたらした。「経済の時代」の過ちの背景にあったものは何か。日本の近現代史を研究するノンフィクション作家の保阪正康さんに話を聞いた。
――専門の昭和史研究で、水俣病を始めとする公害の問題をどうとらえていますか。
「私たちの国は、昭和の時代に二つの実験をやったように思います。一つは、1931年の満州事変から戦争に突き進んで敗戦に至るまで。もう一つは戦後の60~74年、池田勇人首相が『所得倍増』を打ち出して高度経済成長を推し進め、オイルショックで急停止するまでの時代のことです」
二つの「14年」
「同じ14年間で、国を破局に導き、かたや世界第2位の経済大国に駆け上がった。ポジとネガとも言える『相似形』の時代についてずっと考えてきました」
――何が見えてきましたか。
「ひとたび目標を設定すると、そこへ向かって直線的に一心不乱に走り続ける国民性です」
「短期間で国を劇的に変えるエネルギーを発揮する一方、そのプロセスで発生した問題や障害は見て見ぬふりをする。将来にどう跳ね返ってくるかは考えない。二つの時代にはそのような共通点があります」
「水俣病や四日市ぜんそくなど全国で続発した公害は、急激な経済成長のもたらす副作用でした。そして、『経済の時代』に先送りされた典型的な問題です」
経済官僚が踏んだ二の轍
――誰が「先送り」したのでしょうか。
「高度成長を取り仕切った官僚、特に経済官僚が、過去の戦争への道を進んだ時の轍(てつ)を踏んだと言えるでしょう。戦争への道も、高度成長への道も、目標設定からそこへ向かうまでのプロセスは似ています。しかし、戦争への道では、そのプロセスで多くの犠牲者が出たにもかかわらず、それを顧みず、さらに突き進んでいった。高度成長の時代も同様に、経済成長という目標達成のために、公害という犠牲者を出したにもかかわらず、それを顧みず、さらに突き進んでいったのです」
「戦争への道では、国民の多くが『国のため』という大義名分のもとに、犠牲を強いられました。しかし、高度成長の時代は、国民一人ひとりが『豊かさ』という個人的な目標を追求した結果、公害という形で犠牲者を出してしまった。この点が、二つの時代の大きな違いであり、同時に、国民性がもたらした悲劇とも言えるでしょう」
「経済官僚は、過去の戦争の教訓から、経済成長の負の側面、つまり公害問題の発生を予測できたはずです。しかし、彼らはその問題を『先送り』し、経済成長を優先しました。その結果、水俣病をはじめとする多くの公害病が発生し、多くの人々が苦しむことになったのです」
「これは、経済官僚が過去の轍を踏んだ、まさに『二の轍』と言えるでしょう。彼らは、経済成長という目標達成のために、国民の健康や環境を犠牲にすることを厭わなかったのです」
「『経済の時代』の過ちを繰り返さないためには、目標達成のプロセスで発生する問題や障害に目を向け、それらを早期に解決していく姿勢が不可欠です。将来にどう跳ね返ってくるかを常に考え、責任ある行動をとることが求められます。」
Offene Fragen
- 経済官僚は具体的にどのように「先送り」を行ったのか。
- 国民性の「直線的」な側面は、他の時代や出来事にどう影響したか。
- 「相似形」の二つの時代(戦争への道と高度成長)の具体的な比較点は何か。
- 経済成長の副作用として発生した他の公害問題は何か。






