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終戦直後に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子を養子に迎える案が閣議決定された。久邇宮家の三男・久邇朝宏さん(81)が取材に応じ、幼少期の生活や皇室典範改正への思いを語った。離脱後も旧居の記憶が残る一方、自身が旧皇族であることを知ったのは小学校高学年だったという。
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終戦直後に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子を養子に迎える案を柱とした皇室典範改正案が閣議決定された。旧皇族の久邇朝宏さんが、幼少期の生活や皇室典範改正への思いを語った。
皇族数の確保にむけ、終戦直後に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子を養子に迎える案を柱とした皇室典範改正案が閣議決定された。離脱した旧11宮家の51人の一人、久邇宮家の三男・久邇(くに)朝宏さん(81)が朝日新聞の取材に応じ、幼少期の生活や皇室典範改正への思いを約60分にわたり語った。詳細なやり取りは以下の通り。
――1947年10月、3歳の時に皇室を離脱しました。離脱後、東京都渋谷区にあった常磐松の自宅から新宿区の西落合に引っ越したそうですね。
正確に言うと1951年、私が学習院初等科に入学した12月に西落合に引っ越したんです。ですから、その前の常磐松の記憶も結構残っています。初等科1年生の夏までおりましたので、セミを取ったとか、石ころを投げたとかいう記憶は色々とあります。ただ、母は離脱の少し前に亡くなって、一緒に撮った写真はあるんですけど記憶は全くないです。
――生家が「宮家であった」ということは、いつ聞きましたか。
初等科では三笠宮家の甯子(やすこ)内親王(近衛甯子さん)と同級生だったのですが、4年生の頃にそれを知り、「あの人が三笠宮家の人なんだそうだ」という感じで話したら、「あなたも」とお手伝いさんから聞かされました。兄(朝建さん)は「建さま」、すぐ上の姉は典子(のりこ)で「典さま」と呼ばれていました。
私は「宏さま」と呼ばれていたんですが、「宏さま、あなたも昔は宮さまだったんです」というようなことを言われて、「えっ」とびっくりした覚えがありますね。
――皇族であったのだからこんな生活をしなければいけない、といったように、お兄さんやお父さんから教育を受けたことはあったのですか。
全くないです。きょうだいとも親とも、そういう話をしたことがないですね。
――叔母の香淳皇后(昭和天皇の妻)が存命の時に宮中に呼ばれたことはあったのでしょうか。
そうですね、おそらく初等科の時でしょうか。天皇、皇后両陛下への新年のごあいさつは、未成年が1月3日、成年は1月2日というように分かれていたように思います。
――その時は、現在の上皇陛下とは面識はあったのでしょうか。
(皇室と旧皇族の末裔(まつえい)で集まる)菊栄親睦会ではお目にかかって、「この人は誰ですか」といったことを言われたのは覚えています。多分、兄が「私の弟です」と言ってくれたんだと思いますけど。
香淳皇后から模型飛行機をプレゼント
――初等科を卒業した時に、香…
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