二山治雄、パリ・オペラ座での挫折と再起への道
ローザンヌ国際バレエコンクール優勝から12年、バレエへの情熱を取り戻したダンサーの軌跡
Hızlı Bakış
ローザンヌ国際バレエコンクール優勝者の二山治雄は、パリ・オペラ座バレエ団で契約団員として活躍するも、正団員への道は険しかった。入団試験で1位を獲得しながらも契約更新を拒否され挫折を味わうが、その後もバレエへの情熱を燃やし続けている。
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二山治雄はローザンヌ国際バレエコンクールで優勝後、パリ・オペラ座バレエ団に入団。契約団員として活躍するも、正団員への道は厳しく、入団試験で1位を取りながらも契約更新を拒否される挫折を経験した。
二山治雄さんは、かつて若手の登竜門、ローザンヌ国際バレエコンクールを制し、その名をとどろかせた。
それから12年、「バレエが嫌いでした」と語るほど追い込まれた時期を乗り越え、たどり着いた居場所で踊り続けている。
インタビューの前編<「プロとはなんぞや」 二山治雄さん、バレエダンサーへの分岐点>では、ローザンヌを目指したきっかけを語りました
憧れの場所から届いたメール
二山さんは2014年、17歳の時にローザンヌで1位に輝いた。米サンフランシスコに留学後の16年9月、ワシントン・バレエ団の下部組織に入り、踊りに向き合っていた。
一通のメールが届いたのは11月のある日のこと。送り主はフランスのパリ・オペラ座バレエ団。17年1~3月の短期契約の申し出だった。
心当たりがなかったわけではない。
16年夏、踊る場所を求めて欧州など各地のバレエ団のオーディションを受けた。パリ・オペラ座の外部入団試験も受験したが結果は7位。直感的に「縁はないな」と感じ、パリを後にした。
それから数カ月後、思いもしなかった打診は「率直にうれしかった」。地元・長野で通っていた教室がフランス流派に近かったことや、幼い頃から映像で見ていたパリ・オペラ座のダンサーたちの踊りが脳裏によみがえった。
「(ステージで)踊れなくてもいいからパリ・オペラ座に行きたい」と所属先に無理を聞いてもらい、パリへ渡った。
3カ月の月日はあっという間だった。
「ここでダンサーとして成長したい」
若さと勢いに任せて再び入団試験を受けると、4位に入り、契約団員として1年間踊ることになった。
この時初めて本格的にダンサーとして生きることを決意した。
入団試験で1位に「でも…」
パリ・オペラ座の場合、正団員になれば定年の42歳まで身分が保障される。一方、契約団員は基本的に1年単位での更新が必要で、毎年、入団試験を受けなければならない。
二山さんも例外ではなかった。不慣れなフランス語に食らいつきながらレッスンに明け暮れ、満を持して挑んだ19年の入団試験で1位になった。
「これで正団員になれる」と胸を弾ませたが、吉報は届かなかった。
この時期は涙を流すことも多かった。
「入団試験で1位はあげる。実力も認める。でも、ここに君の居場所はないよ、と言われたような気がしました。挫折だったと思います」
不本意だったがパリに残り、「ヨーロッパの違うカンパニーを見てみようか」と思って…
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- 二山さんは今後、どのようなキャリアを歩むのか?
- パリ・オペラ座での経験が、彼のバレエ人生にどう影響したのか?






