Auf einen Blick
沖縄全戦没者追悼式で、豊見城市立豊崎中学校2年の亀谷琉奈さん(14)が「生きたいと願った証」と題した平和の詩を朗読する。詩は、戦争体験を持つ亡き曽祖母の傷痕から着想を得ており、極限状態でも生き抜いた人々の意志を次世代へ伝えたいという思いが込められている。
KI-generierte Zusammenfassung
沖縄県糸満市の平和祈念公園で23日に営まれる沖縄全戦没者追悼式では、豊見城市立豊崎中学校2年の亀谷琉奈(かめやるな)さん(14)が、「生きたいと願った証(あかし)」と題した平和の詩を朗読する。
詩を書く時に思い浮かべたのは、亡き曽祖母のこと。爆弾が降り注ぐ中、必死に生きようとした若き日の体験を聞かせてくれていた。
亀谷さんは5歳のころ、曽祖母の上地ヨシさんの右太ももに、10センチほどの傷痕があることに気がついた。
「どうしたの?」。そう聞くと、いつもニコニコしているヨシさんの顔が暗くなった。そして涙を浮かべながら、第二次世界大戦中の出来事を静かに語った。
石垣島出身のヨシさんは、日本が委任統治していた南洋のロタ島や、日本の植民地だった台湾で暮らし、米軍による空襲に遭った。
最初は日本軍の飛行機だと思って手を振ったが、次々と爆弾を落とされ、大勢の人が倒れている中を泣きながら走って逃げたという。
恐怖と混乱の中、ヨシさんは落ちていた石を手に取り、自らの足を傷つけた。亀谷さんはその理由を「聞きたかったけど、聞けなかった」と振り返る。
体験を話してくれたのは、その一度きりだ。「見たことのないぐらい、悲しそうな顔だった。一生懸命伝えてくれたんだと思う」
中学1年生の時の校外学習で初めて壕(ごう)に入ったのをきっかけに、戦争や平和について考える機会が増えた。
家族と話し合ったり、戦争を描いた絵画を見るため美術館に足を運んだり。
そんな時にいつも思い出すのが、ヨシさんの右足の傷だ。学びを深める中で、あの傷は「戦争の恐ろしさを伝えるだけでなく、苦しい中でも懸命に生きた証」と考えるようになった。
「今の私たちがいるのは、戦争という極限の状態の中でも生きることを諦めず、強い意志で生き抜いた人たちがいたからだ」。亀谷さんはその思いを、平和の詩にこう紡いだ。
「平和は当たり前じゃない たくさんの人の涙と苦しみと 『生きたい』という願いの上にある」
ヨシさんは自身の体験を明かした数年後、95歳でこの世を去った。
亀谷さんは戦争体験者がいなくなった後の社会を見据え、朗読に臨む。
「たった81年前に恐ろしい戦争があった。体験者にとって話をするのはつらいこと。そんな中で話してくれた体験を、私たちは伝えていかないといけない」【喜屋武真之介】






