Auf einen Blick
沖縄県・久米島で第二次世界大戦中に日本軍部隊が住民を虐殺した事件について、元兵士の仲原善助さんの手記が「罪永劫に許さるべきものではない」と事件の重さを伝えている。米軍上陸後、スパイと疑われた住民が殺害される悲劇が相次いだ。
KI-generierte Zusammenfassung
Warum es wichtig ist
第二次世界大戦下の沖縄戦において、日本軍部隊が住民を「スパイ」などの疑いで殺害する事件が多発した。これは戦場の狂気とされた悲劇の一部である。
第二次世界大戦下の沖縄県・久米島で、日本軍の部隊が起こした住民虐殺事件については、部隊に所属していた島出身の元兵士が戦後、手記に残していた。
「其(そ)の罪永劫(えいごう)に許さるべきものではない」。元兵士で1991年に87歳で亡くなった仲原善助さんは事件についてこう断じている。
手帳の1ページ目に「戦争のこと」と大きく書かれた全60ページの手記は、後世に何を伝えようとしたのか。
沖縄戦では、住民が「スパイ」と疑われ、日本軍に殺害される事件が相次いだ。それは戦場を覆う「狂気」が生んだ悲劇だったのか。関係者の声に耳を傾ける連載の最終回です。
▽「やむなくやった…」 打ち明けた住民虐殺 父が抱え続けた罪
▽密告で殺された親友 「こいつのせいで…」 こらえ続けた憤怒
憎まれた男性の悲劇
45年6月26日、久米島に1000人規模の米軍が上陸した。日本海軍電波探信隊は投降を拒み、わずか30人あまりで山にこもった。手記によると、米軍上陸後も住民から「いろいろ情報がきた」という。
その中に、米軍に協力しているとして、久米島出身のある男性の殺害を求めるものがあった。「1軒家に1人でいるから、殺してくれ」
男性は激しい地上戦が展開された沖縄本島で捕虜になり、島の案内役として米軍に連行されてきた。仲原さんは手記で「当時の日本人の気持(ち)」として、敵に協力している形のこの男性を「みんなで憎んだことと思ふ」と振り返っている。
男性は8月18日、妻子とともに殺害された。しかし、その後、米軍が上陸前に計画していた艦砲射撃をその男性が中止させたという話が、島に広まった。多くの住民は一転して、亡き男性に感謝をささげた。
部隊による住民虐殺は4件。犠牲者は20人に上った。仲原さん自身は、いずれの虐殺事件についても関与を否定する。島の出身だっ…
Offene Fragen
- 虐殺事件の全容はどこまで解明されているのか
- 元兵士の手記には他にどのような詳細が記されているのか






