L'essentiel
1936年ベルリン五輪で「ベルリンの奇跡」と呼ばれた日本対スウェーデン戦の歴史を振り返る。当時の日本代表主将・竹内悌三さんの長女、石井幹子さんが父のサッカーへの情熱と、日本サッカーの発展を語る。日本は現在、W杯常連国に成長した。
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Pourquoi c'est important
1936年ベルリン五輪で、黎明期の日本サッカーが強豪スウェーデンを3-2で破り、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。
1次リーグF組最終戦で対戦する日本とスウェーデン。両国は1936年ベルリン五輪で初めて顔を合わせた。黎明(れいめい)期の日本が強豪スウェーデンを3―2で破り、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた。
日本の主将だったのが故竹内悌三さん。長女で照明デザイナーの石井幹子さん(87)は「サッカーがこんなに盛んになるとは誰も予測していなかった時代だった」と語る。
日本でサッカーが行われていたのは、竹内さんが所属した東京帝大(現東大)など、いくつかの大学くらい。五輪直前の試合で、ボールを持ったGKにタックルをすれば反則になることを知るほど。英語、ドイツ語の本から戦術を学び、実戦を通して改善した。
竹内さんはその後に欧州各国を視察して帰国。陸軍から召集され、戦後シベリアへ抑留中に亡くなった。石井さんは母から竹内さんが「サッカーはとても楽しいスポーツ。今に日本でも盛んになる時がくる」と繰り返していたことを伝え聞いた。
竹内さんは2006年に日本サッカー殿堂入り。残した言葉通り、日本も世界と肩を並べるまでに成長し、W杯の常連となった。
石井 幹子さん(いしい・もとこ)1938年に故竹内悌三さんの長女として生まれる。フィンランドなどでデザインを学び、照明デザイナーとして活躍。皇居外苑やレインボーブリッジのライトアップを手がけ、2002年日韓W杯では東京タワーを青く照らした。元Jリーグ理事。日本サッカー協会の協力で母子家庭の小学生を対象とする作文コンクール「竹内悌三賞」を創設。東京都出身。87歳。






