L'essentiel
1945年の沖縄戦は、日本本土防衛のため米軍を引き止める持久作戦が取られた激戦地。10・10空襲や特攻攻撃、約3ヶ月にわたる地上戦で軍民多数が犠牲となった。6月23日は慰霊の日。
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米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。爆弾の降り注ぐさまは「鉄の暴風」と形容された。1945年、日米最後の地上戦が沖縄であった。どのような戦いだったのか。何をもたらしたのか。6月23日は、沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」。解説します。
なぜ沖縄が戦場に?
日本は米国などと戦争をしていた。太平洋の島々を奪った米軍は、日本本土を攻めるための前進基地として沖縄占領を目指した。日本はすでに敗色濃厚のなか、沖縄の日本軍は、日本本土を守るため、米軍を沖縄にひきとめて時間をかせぐ「持久」作戦をとった。
沖縄で最初の大きな被害は1944年10月の「10・10空襲」だ。死者は軍人と民間人あわせて668人とされる。45年になって、航空機で軍艦に体当たりする日本軍の「特攻」攻撃も始まった。特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれている。
米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。このころから約3カ月にわたる戦いを一般に、沖縄戦と呼ぶ。
沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で、米軍に占領された。日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。しかし、追い詰められて、首里城地下にあった司令部を捨て、日本軍は本島南部へしりぞく。大きな戦いはその後約1カ月間続いた。
軍人と住民が混じり合った戦場
沖縄戦は、軍隊と軍隊、軍人…







