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アジアパラ競技大会開幕まであと100日、選手たちの思い
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朝日新聞2h agoSports8 min readJapan

アジアパラ競技大会開幕まであと100日、選手たちの思い

Quick Look

10月に愛知県で開かれるアジアパラ競技大会まで100日。パラバドミントンの伊藤則子さん、陸上の石田駆選手、車いす陸上の伊藤智也選手、柔道の広瀬誠さんが大会への思いを語った。地元開催への期待や、メダル獲得への意欲、パラスポーツの普及への願いが語られた。

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Why It Matters

アジアパラ競技大会は10月に愛知県で開催される。パラスポーツの祭典として、選手たちにとって晴れ舞台となる。大会まであと100日となり、関係者の期待が高まっている。

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アジア競技大会に続いて、愛知県内を中心に10月に行われるアジアパラ競技大会の開幕まで、7月10日であと100日となる。パラアスリートたちにとってはパラリンピックに次ぐ晴れ舞台とも言われる。現役、元の選手たちに大会への思いを語ってもらった。

「大歓声に包まれたジャカルタ」

会場は人で埋まり、歓声で審判の声すら聞こえない――。2018年、アジアパラのインドネシア・ジャカルタ大会に出場したパラバドミントンの伊藤則子さん(50)=名古屋市=の思い出は今も鮮明だ。「パラの大会では、観客はあまりいないっていうのが普通だったので興奮しました。国を超えていいプレーに称賛を送ってくれる。あの雰囲気の中、コートにずっと立っていたいと感じました」

右足が不自由で義足を使う伊藤さんは大学4年から本格的に競技を始めた。遠ざかった時期もあったが復帰。初めてのアジアパラの韓国・仁川大会(14年)では銅メダルを獲得した。ほかの国、別競技の選手もいる選手村で、「国際総合大会という独特の雰囲気を味わうことができた」

18年のジャカルタ大会では、衛生面の問題から体調を崩し、成績は振るわなかった。「でも看護師さんが言葉が通じなくても付きっきりでいてくれて。大会運営に緩さはあったけれど人の優しさ、陽気さが印象的な大会でした」

21年の東京パラリンピックでは、ダブルスで銅メダルを獲得。24年のパリパラリンピックにも出場し、競技人生を締めくくった。今大会では、組織委員会のアスリート委員となり、PR役を務める。

「地元愛知らしい良さを感じてもらえるような大会にしたい。街も含めそんな雰囲気を出せればいいと思っています」

その上で「海外のように、障害がある人には近くにいた人が自然と手を差し伸べる。大会後はそんな風になってくれれば」と望んでいる。

銀メダル超え目指す

岐阜県各務原市出身の石田駆選手(27)=トヨタ自動車=は、2023年アジアパラの中国・杭州大会の陸上男子100メートル(T47クラス)で獲得した銀メダル超えに意欲を燃やす。

石田選手が左肩に違和感を覚えたのは、愛知学院大学(愛知県日進市)に入学した直後のことだった。診断は骨のがんと言われる骨肉腫。すぐに手術をし、競技を続けるために人工関節を入れる治療を選択した。

左腕は少ししか上がらず、大きく振ることも、重いものを持つこともできなくなったが、家族や仲間の支えもあり、半年後には練習を再開した。

翌年の19年からパラ陸上に参戦すると、すぐに100メートルと400メートルで日本記録を更新。21年の東京パラリンピックでは100メートルで5位入賞を果たし、注目を浴びた。

競技中は左肩を固定する装具をつけて走る。「肩甲骨を使って腕と脚のバランスを取り、安定して速く走るフォームを作り上げてきた」と石田選手。

6月にあったパラ陸上の日本選手権では100メートルと400メートルに出場し、日本記録を更新する走りを見せ、10月のアジアパラ大会に大きく前進した。

アジアパラ大会の陸上競技は、パロマ瑞穂スタジアム(名古屋市瑞穂区)が舞台だ。石田選手にとっては、岐阜聖徳学園高校時代にインターハイへの出場を決めた縁起の良い場所でもある。

6月23日には、岐阜県の事業で恵那市立山岡小学校を訪れた。全校児童約120人に速く走るコツなどを指導し、一緒に駆けっこをして交流した。アジアパラ大会に向けて、石田選手は「病気になった時、家族や仲間に支えてもらった。金メダルで恩返しをするしかない。みんなも応援してください」と話した。

観衆に囲まれ祝福されて……

20年以上、練習拠点としている三重県鈴鹿市の陸上競技場に朝、来ては2時間走り、家へ戻っては筋トレ。62歳。10月のアジアパラ大会で上位入賞を目指す車いす陸上の鉄人こと伊藤智也選手の毎日だ。

難病で30代半ばに下半身の自由を失った後、競技を始めた。パラリンピックでは2008年北京大会で金メダル2個(400、800メートル)、12年のロンドン大会で銀メダル3個(200、400、800メートル)、直近の24年パリ大会では銅メダル(400メートル)を獲得。「走るのを仕事としてやってきたらそうなっただけのこと」

アジアパラは、18年のインドネシア・ジャカルタ大会に出場。柔らかいトラックの舗装に苦労したというが、金(200メートル)と銀2個(100、400メートル)のメダルを獲得した。よく覚えているのが会場に選手専用の通り道が確保されていなかったこと。「競技場から荷物を置いたサブトラックへ戻る際、すごい数の人に囲まれ、体も触られた。案内の人がいないから進めない。でもマナーは良かったよ。こういうのもありなのかなと」

数ある国際大会に出場してきたが、進行性の難病を抱え、十数時間、飛行機に揺られる移動は体に負担が大きい。だが今度の舞台は、車で2時間弱というパロマ瑞穂スタジアム(名古屋市瑞穂区)。「直前までここで調整できるし、コンディションを保つには楽」。その上で「(無観客だった)東京パラリンピック(21年)と違って大勢の観客がいる国際大会って言われているけれど、僕はただ平常心で走るだけ。もちろん観客はいた方がいいですけど」と冗談めかして笑った。

アジア勢の成長は著しい

前回2023年にあったアジアパラの中国・杭州大会。パラリンピックの元銀メダリスト、柔道(視覚障害)の広瀬誠さん(49)=名古屋市=は初戦で敗退した。「甘くなかったという思いもあったが、それ以上にアジアでも選手層が広がり、底上げされていると改めて思った」。後に2度目となる引退を決めた。

パラリンピックには4回出場し、04年のアテネと16年のリオでそれぞれ銀メダルを獲得。アジアパラには3回出場。10年の中国・広州大会では銅メダルを取っている。中央アジアの選手が強くなってくるなど、大会に参加する度に、パラスポーツへの理解が進み、取り組みを強める国は増えてきたと実感した。

高校2年の時、病気で視力の低下に見舞われた。盲学校、大学、名古屋盲学校教諭と歩みながら柔道は続け、様々な国際大会に出場してきた。

とりわけアジアパラとパラリンピックについては、「選手村があり、大勢の選手団の一人として参加する特別な大会」という思いがある。10年の中国・広州大会が印象深く、「北京パラリンピック(08年)と同様、マンパワー、技術と国を挙げて開かれた大会だと肌で感じた」と振り返る。

地元、愛知で開かれる大会を楽しみにしている。「これを機に障害者だけでなく、高齢者や親子連れなど誰もが住みやすい街になってくれるきっかけになれば」

アジアパラ競技大会は10月18~24日、パロマ瑞穂スタジアム(名古屋市瑞穂区)など愛知県内の会場を中心に、18競技が行われる。参加する選手、役員は45カ国・地域から最大4千人。

開幕に先立つ、10月6~14日に県内の31自治体が採火式をし、うち岡崎市や犬山市など6自治体は聖火リレーを実施する。15~17日には名古屋市内でもある。

同大会は、1975年に日本で始まった「極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会」(通称フェスピック)が前身で、アジアパラ競技大会に引き継がれた。1回目の大会は2010年に中国・広州であり、今回で5回目。国内では初めての開催となる。

Open Questions

  • 大会の具体的な盛り上がりはどうか?
  • 選手たちのコンディションは?
  • 大会運営上の課題は?

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This article was originally published by 朝日新聞.

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