Quick Look
ミャンマー内戦から逃れた子どもたちが、タイ国境の学校で肩を寄せ合い生活している。空爆で元の学校を失い、親元を離れて学ぶ子どもたちは217人に上り、戦闘の音が響くたびに避難を繰り返しながらも教育を求めている。
AI-generated summary
Why It Matters
ミャンマーでは2021年のクーデター後、国軍と民主派勢力、少数民族武装勢力との戦闘が広がり、内戦状態が続いている。これにより、多くの人々が戦闘や弾圧を逃れて国境を越え、タイ側へ避難している。
細い川の向こう側で、子どもたちが暮らしていた。
タイ北西部ターク県の国境地帯。タイとミャンマーを隔てるモエイ川は、幅10メートルほどしかない。竹を組んだ橋を渡ると、ミャンマー側の小さな学校に着く。
日曜日の朝、賛美歌が聞こえてきた。縦じまの民族衣装をまとった子どもも交じり、最後に「アーメン」と声を合わせる。
周囲にはトウモロコシ畑が広がり、のどかな農村のようにも見える。
だが、ここは戦争の災禍に覆われた場所だ。学校名と所在地を伏せることが、取材の条件だった。
ミャンマーでは2021年のクーデター後、国軍側と民主派の抵抗勢力、少数民族武装勢力などとの戦闘が広がり、内戦状態が続いています。戦闘や弾圧を逃れて国境を越えた人たちは、その後をどう生きているのか。タイ国境の町メソトとその周辺で、故郷を離れた後も続く人々の時間を追いました。連載「帰れないひとびと ミャンマー国境から」の1回目です。
親元離れ、肩を寄せ合い
学校は以前、近くの丘の上にあった。軍用機の音が聞こえると川辺へ逃れ、危険が去ると戻る。そんな避難を繰り返した末、国境ぎりぎりの今の場所へ移った。
子どもたちは、戦闘が続く東部カイン州などから逃れてきた。多くは親元を離れ、ここで寝泊まりしながら学ぶ。レンガ造りの簡素な校舎には、金属製の波板屋根が載る。
昼食後、幼い少女が川辺にしゃがみ込み、皿をすすいでいた。細い腕を伸ばした、そのすぐ先はタイだ。
この学校で教えるノーポーピースさん(36)によると、4歳の幼児から高校生まで、児童・生徒は217人に上る。約2年前は80人ほどだった。内戦が長引く中、教育の場を求めて来る子どもは増え続けているという。
昨年までは、授業を終えた教室で、長椅子を寝床代わりにして眠っていた。児童・生徒が増えたため、いまは教室の後方に高床式の寝泊まり用スペースを増築した。それでも十分な広さはない。夜になると、子どもたちは床に隙間(すきま)なく並び、肩を寄せ合うように眠る。
戦闘があれば対岸へ
ミャンマーでは2021年2月のクーデター後、各地で国軍と民主派勢力や少数民族武装勢力との戦闘が続く。国軍による学校や病院への空爆も激化している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国内避難民は約375万人に上る。
カイン州の村から来たノートレサさん(15)も、元の学校を空爆で失った。空爆があった時は休暇中で学校にいなかったが、校舎が焼け、勉強を続けられなくなった。
国境周辺でも、戦闘機やドローンの飛行音に加え、銃声や爆発音が響くことも珍しくない。音が聞こえると、子どもたちは川辺へ下り、そこでじっと待つ。状況が深刻になれば、対岸へ逃れることもある。
「もう慣れてしまいました」
そう話す一方で、怖くなくなったわけではない。音が響くたび、今も心臓は激しく脈打つ。繰り返すうちに、恐怖を抱えたまま過ごすことに慣れてしまった。
川を越えても続く「戦争」
教員のノーポーピースさんは、戦闘の音が日常になった子どもたちの心を案じる。それでも親たちは、家や学校を失い、避難を繰り返す中で、せめて教育だけは受けさせたいと子どもを送り出す。
「危機の中で、教育は最後のとりでです」
細い川は、空爆や銃撃から逃れるための境界でもある。越えれば、命の危険からはいったん距離を置ける。だが、タイ側にも安住の地があるわけではない。書類、仕事、住まい、医療、教育――。故郷を離れた後も、暮らしを立て直すには別の困難が待つ。【ターク県で小泉大士】
Open Questions
- 国境の学校に通う子どもたちの長期的な教育保障は?
- タイ側での避難民の法的地位と生活再建は?
- 国際社会はミャンマー国境の教育危機にどう対応するか?




