Quick Look
太平洋戦争末期、東京・牛込区の愛日国民学校の学寮があった栃木市藤岡町の繁桂寺で、疎開児童の集合写真2枚が発見された。これまでにも資料は見つかっていたが、写真の発見は初めて。写真は昭和20年(1945年)2月11日に撮影されたとみられ、当時の住職や学校関係者、34人の児童が写っている。
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Why It Matters
太平洋戦争末期、学童集団疎開が行われ、東京・牛込区の愛日国民学校の学寮が栃木市藤岡町の繁桂寺に設けられていた。
太平洋戦争末期の学童集団疎開で、東京・牛込区(現新宿区)の愛日国民学校(現区立愛日小学校)の学寮(寄宿舎)だった栃木市藤岡町の繁桂寺(石沢諭哉住職)で、疎開児童の集合写真2枚が見つかった。これまでも学寮の看板や児童が書いた絵手紙など学童疎開の貴重な資料が見つかっていたが、写真の発見は初めてという。
前住職の繁岡哲哉さん(84)によると、今年4月、庫裏の収納部屋を模様替えする際に見つけた。印画紙にプリントされた白黒写真で、空き缶に保管されていたという。
2枚とも学寮の看板が掲げられた本堂前での撮影。1枚には、妻基永さん(79)の父で当時の住職だった一之さん(1970年死去)が軍服姿で中央に座り、その右隣に学校関係者らしき女性2人、左隣や後ろの本堂階段に児童34人が並んでいた。写真の裏には、「昭和廿(にじゅう)年貳(に)月拾壹日」の日付が書かれていた。基永さんによると、一之さんの字という。
一之さんはこの日付と同じ…
Open Questions
- 写真に写っている他の児童や関係者の詳細は?
- 他の疎開児童の写真や資料は他にないか?





