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福岡大空襲から81年、被害が大きかった簀子地区の円応寺で、犠牲者105人の名前を初めて読み上げて供養。副住職「名前を呼んで一人一人に光を当てたい」
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Why It Matters
福岡大空襲は1945年6月19日、米軍機の焼夷弾攻撃により発生。市中心部が焦土となり、多数の犠牲者を出した。
福岡市中心部が焦土と化した福岡大空襲から19日で81年を迎える。被害が大きかった簀子地区の円応寺(同市中央区)で14日、犠牲者105人の名前を初めて読み上げて供養する。副住職の三木英信さん(57)は「この街に生きた存在として、名前を呼んで一人一人に光を当てたい」と話した。 福岡大空襲では、米軍機が1945年6月19日深夜、市上空に飛来し、焼夷弾を次々と投下。1000人以上の死者・行方不明者を出した。47年に簀子公園(同区)に建立された戦災死者供養塔には、校区で176人が犠牲になったと記されている。円応寺も空襲で焼け落ち、三木副住職の父で住職の和信さん(87)は当時6歳で、母と近くの防空壕(ごう)に逃げて生き延びたという。 寺の無縁仏地蔵尊には引き取り手のなかった遺体…
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- 供養された105人の詳細なプロフィール





