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1991年の雲仙・普賢岳大火砕流で殉職した長崎県警の警察官2人を追悼。同期の一瀬永充警備部長は、犠牲者の遺志と教訓を後進に伝え、県民を守る使命感を訴えた。現場近くの火山岩が2人を偲ばせる。
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Why It Matters
1991年6月3日に発生した雲仙・普賢岳の大火砕流では、ふもとの「定点」付近を警戒中の消防団員ら43人が犠牲になった。うち2人は長崎県警の警察官だった。犠牲から35年が経過した現在も、当時の教訓は語り継がれている。
1991年6月3日に発生した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流では、ふもとの「定点」付近を警戒中の消防団員ら43人が犠牲になった。うち2人は警察官だった。
大火砕流から35年。2人のうち1人と同期生だった長崎県警幹部は「県民を守るという使命感のあった若き警察官がいたことを、後進に伝えたい」と語り、亡き同僚をしのんだ。
西郷隆盛のような兄貴分
亡くなったのは九州管区機動隊佐世保小隊員の樋口隆洋さん(当時26歳)と岩崎節さん(同25歳)で、いずれも長崎県警の警察官だった。
大火砕流が迫る中、定点で取材を続ける報道関係者らに避難を呼びかけていた。
樋口さんと同期生だったのが県警警備部長の一瀬永充(いちのせひさみつ)さん(57)だ。87年の拝命で、警察学校卒業後の配属先も同じ佐世保署京町交番だった。
3歳年上で、刑事を目指していた樋口さんは「兄貴分で頼れる存在。西郷隆盛のような大きな背中だった」という。
県警機動隊員だった一瀬さんが午後4時8分に発生した大火砕流の一報を聞いたのは長崎市での訓練中だった。
それから約20分後に島原市へ車で出発。車内で「機動隊員と連絡が取れない」との無線を聞いた。
「なんとか、無事でいてくれ」
祈るような思いで島原市にたどり着いたが火山灰が降って辺りは暗く、噴石を避けながら交通整理をした。
自然を前にした人間の無力
一睡もできず、翌日は火砕流の犠牲者を検視の場所に運んだ。その後に「2人が亡くなった」と聞いた。
自然を前にした人間の無力さ。警察という仕事の重み。葬儀に参列した仲間は皆、泣いていた。
「人一倍、責任感のある人だった。志半ばで殉職し、無念だっただろう」。そう語る一瀬さんの目には涙が浮かんでいた。
「ショートホープが好きだったな」。毎年、同期生たちと長崎市内にある樋口さんの墓を訪れ、たばこと缶ビールを供えて近況を報告。若手警察官数人を連れて墓を訪れることもある。
幹部には「現場の警察官の心がけでは事故は防げない。起きうる災害を知り、組織として準備を万全にすることが必要」と、教訓を学ぶことの大切さを伝えている。
今年5月、雲仙・普賢岳の防災視察登山に初めて参加し、山頂で同僚と線香を手向けた。「35年たちますね。しっかりやっていきます」
パトカー近くにあった火山岩
県警本部の警備部長室には「治安の礎」と呼ばれる直径約10センチの二つの火山岩がある。
樋口さんと岩崎さんが乗っていたパトカーの近くにあった岩で、2人のことを後世に伝えるため、2002年から置かれている。
県警によると、大火砕流後の92年1月以降に拝命した警察官は県警全体の9割を超える。
「2人の志と教訓を伝える。同期生に課せられた使命なんだ」。岩を見るたび、一瀬さんはそう感じている。【添谷尚希】






