
2024年10月の衆院選で与党が大敗し少数与党となった石破政権。選挙の敗因や続投の舞台裏、野党協力を余儀なくされる不安定な国会運営の苦闘を検証する。
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2024年10月27日投開票の衆院選で自民・公明の与党が過半数を割り込み、石破政権は少数与党となった。
連載「異色の政権 検証・石破政権」(5)
2024年10月27日投開票の衆院選は、石破茂首相が率いる自民、公明の与党が大敗した。過半数を割り込む「少数与党」への転落は、発足1カ月の政権の前途を決定付けた。石破氏の党内における求心力は急降下し、国会運営では野党への譲歩を余儀なくされる。
投開票日の夜、自民党本部。石破氏は、向き合っていた森山裕幹事長とともに「続投」を決めた。石破氏は「あそこで辞めたら意味がない。私の中では『戦後80年』があった」と語り、すでに戦後の節目に合わせたメッセージの発出を意識していたという。
村上誠一郎総務相(当時)は、石破、森山両氏が控えていた一室を訪ね、「絶対に辞めてはいけません」と伝えたという。敗因の背景に、派閥の裏金問題など、過去の政権による「負の遺産」があったと考えたからだった。
衆院選の敗因は何か。石破氏に改めて尋ねると、二つの判断ミスに触れた。一つは予算委員会を開かずに衆院を解散したこと。もう一つは裏金問題で非公認とした候補者側に2千万円を支給したことを挙げた。
政権発足から間もないことから、執行部は陣容を変えずに続投する方針を決めた。本人の意向を踏まえて小泉進次郎選挙対策委員長の辞任を認めるにとどめたが、石破氏に対する不満のマグマはこのときから本格的にたまり始めた。
国会における首相指名選挙においては、決選投票までもつれたものの、第2次内閣の発足にこぎつけた石破氏。ただ、待ち受けていたのは、野党の協力がなければ法案を通せない少数与党下の国会だった。
年収の壁、「石破さんは決断できなかった」
野党の協力を得ようと、最初…

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